◆ <斉藤斎藤> よりも作品を  伊波虎英  


 三月号の「三角点」に掲載されていた廣西昌也さんの「斉藤斎藤さん
の「名前」」を、以前インターネット上においても枡野浩一さんが <斉
藤斎藤> に異を唱えていたことを思い出しながら読んだ。 


 初めて僕が「短歌人」を手にした時、注目していた歌人以外の膨大な
数の作者と作品を前に、まずは名前だけを頼りにページを繰り、どこか
で見たことがある名前や特徴のある変わった名前に目を留め、その方の
作品に目を通したものだ。 


 そんな僕自身の経験上、名前も取っ掛りとして重要といえるかもしれ
ない。しかし、奇を衒いすぎた筆名は、作品への拒絶反応をも生むこと
になるだろう。廣西さん曰く「かすかに反則の匂いさえする」 <斉藤斎
藤> はその危うさと不思議な魅力とを内包した名前だ。

 
 斉藤斎藤さんが <斉藤斎藤> という名前を名乗るようになった経緯を
僕は知らない。きっと本人に訊ねても「本名だもん」と答えるにちがい
ない。ただ僕は、斉藤斎藤さんの発言や活動を見ていて、彼から本名で
歌を詠むことと同様の覚悟みたいなものを強く感じる。 


 それもあってのことだろうけど、斉藤斎藤さんが <斉藤斎藤> を名乗
るようになった当初から彼を知る僕は、もうすっかり <斉藤斎藤> とい
う名前に慣れてしまって違和感も拒絶反応も全くない。 <斉藤斎藤> よ
りも斉藤斎藤さんの作品のほうにインパクトを感じるし(と同時に心惹
かれない作品も多くある)、「短歌人」が届くと真っ先に作品に目を通
すひとりだ。

 
 腹が減っては絶望できぬぼくのためサバの小骨を抜くベトナム人
 母方のじいちゃんよりもばあちゃんが二ヶ月ながく死んでいること
 上半身が人魚のようなものたちが自動改札みぎにひだりに


 手元にある「短歌人」数冊から斉藤斎藤さんの作品をピックアップし
てみた。三首目、「上半身が人魚のようなものたち」という見立て(た
しかに、人魚の上半身は人間の姿をしている)が秀逸だ。


  <斉藤斎藤> という筆名が話題になるのは、当然、斉藤斎藤さんが注
目に値する短歌作品の作者であるからに他ならないのだが、どうせなら
もっと斉藤斎藤さんの作品について議論が広がってほしい。