<ログ41>

◆016:たそがれ 中澤あけみ 2005年03月19日 (土) 00時47分
たそがれの蔦や書店の奥つ方ひそと息づく言霊(ことだま)のあり


◆079:ぬいぐるみ 謎彦 2005年03月19日 (土) 05時31分
中等部父兄教職員有志「ぬひぐるみ劇・オイディプス王
http://www.bunkamura.co.jp/cocoon/event/oedipus/


◆031:盗 寺川育世 2005年03月19日 (土) 15時26分
梔子は仄あかるくて花盗人と父盗人の差異を思へり


◆031:盗 今泉洋子 2005年03月19日 (土) 19時25分
限りある時の盗人(ぬすつと)われは喰ふ瑞穂の国の南無(なむ)白飯を


◆019:アラビア 飛鳥川いるか 2005年03月19日 (土) 21時02分
アラビアの文字は風のかたちにて右の眸(まみ)から左の眸(まみ)へ




     ☆ 




題詠マラソン」の鑑賞サイトのあちこちで、


048:袖 矢嶋博士 2005年03月12日 (土) 20時36分
袖掏るも多少の縁も欲しからずこんだけへたのうたの羅列に


という矢嶋博士さんの歌とその後の発言について意見が述べられている。
題詠マラソン」についての思いを、こうして
参加者の立場から歌にして投稿するのは別にかまわないと思う。
そもそも「題詠マラソン」というイベントは、
歌歴も年齢も参加目的もさまざまな人が集まっている場なんだから、
そういう思いを表明したうえで、周りを無視して完走すればいいのだ。
去年も矢嶋さんは参加していたはずだし、「題詠マラソン」が
どういうものなのかよくわかっているはずなのに残念。
もちろん棄権するのも自由だけど、関係のない他人のブログでぼやく
なんていう大人気ないことはせず、スマートに去ってほしかった。
あの歌だけでまだ言い足りないのなら
「給水所」で正々堂々と発言すればよかったのに。
玉石混淆の投稿歌のなかから秀歌を見つけだすとか、
鑑賞サイトで取り上げられている歌やそのコメントについて
批評して矢嶋さんの短歌観を示すとか、できることなら
そういうことで「題詠マラソン」を盛り上げてほしかった。
題詠マラソン」は、今年で終了というわけではないだろうし、
さらに魅力的なイベントにしていくためにも、お互い感情的にならず、
「短歌」「定型」についてあらためて考えてみるのがいいのかもしれない。


さるさる日記「毘紐天☆カルキの生あくび」3/19付より
http://www2.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=144560&log=20050319