アンソロジー

スキージャンプの選手はさほどジャンプ力を必要としないことがわかりぬ 室井忠雄 匿しもつ固き冬の芽 土双つ重ねてすなはち圭也にあれば 柚木圭也 静けさのなかに沈みぬ君も子もいなければただの箱だ、この家 鶴田伊津 死体あるところに赤い旗が立つ炎のよう…

ねこ捏ねてねこ裏返る日曜の午前をあそび鳥のこえ降る 内山晶太 冬至なり部屋に射し入る赤き陽を負いて明るき短歌を詠まん 畑中郁子 成犬の躾を頼みに行くような心地でメンタルクリニック訪う 生野檀 極月の夕べひとりの紳士来て明治牛乳の試飲を勧む 助川と…

向かい合いガラス戸拭くときお互いに見て見ぬふりに老いを言わざり 滝川美智子 ポケットティッシュを百個もらひぬシーメンスの補聴器買ひし抽選券で 荒垣章子 三十代六人集ふ既婚一人バツイチふたり子どもはひとり 鎌田章子 いつまでも子どものような夫がい…

駅に着く電車の窓はくもりゐて深く息して人を吐き出す 山根洋子 答へなきうつつに迷ひ明快な分量に焼くパウンドケーキ 松岡圭子 幸(さち)ゆえに笑むのかえむからしあわせか体感温度はいつでも春日 今井ゆきこ 辛口の物言い増える年の瀬の松前漬けは薄味に…

星は今しんと冴えをり独り居(ゐ)の一口焜炉の青き炎(ひ)に似て 岡田悠束 虫の音に目を閉じており夜に鳴くひとつひとつを孤島と思い 守谷茂泰 みづうみにしづめし斧の物語 こころ貧しくあれば思へり 原田千万 鬱の日も鬱晴るる日もさりながらかたはらに置…

国立の癌センターの入口に車つかへて渋滞しをり 田中浩 八ケ月仰臥せし父、棺へと入りしのち立つエレベーターに 生野檀 骨密度三十代と褒められし九十の父が小遣いくるる 柊明日香 長雨の晴れたる朝(あした)庭さきに露をふふみて蜘蛛の巣ひかる 近藤かすみ…

誰ひとり顔を上げねど部屋ぢゆうの目玉がうごく咳きこむたびに 関口博美 塗れ染めし茶虎猫(ねこ)の毛のごとゆふぐれて河野裕子のゐない絶望 黒田英雄 南蛮絵の中にはだへのくろきひと幾人もをりて荷役をになふ 小出千歳 長き丸太の椅子の置かれて足湯あり…

暗がりに信号をまつ人影のそのちひさきがあはれわが妻 伊東一如 シルバーの派遣に頼り小屋一つ壊して雪の心配なくす 小松志津 戦争を煽りしあの日の新聞と名前変わらぬ今朝の新聞 野上卓 母親となりたる姉妹陽だまりに語り合うのを見るはうれしも 新倉幸子 …

くりの実を甘く煮ており三十の鬼皮剥きしわがゆびのため 高木律子 足先をそろりブーツにとほしゆき直立二足歩行の覚悟 関口博美 双眼鏡の視界のなかに閉ぢ籠もりしばしかもめの群を見てゐる 大室ゆらぎ 細やかなこころなるべしとび発てば鷺の二の脚虚空に揃…

日本史の片隅にいてときおりは思い出のように吾をよぶ渤海 水島修 豊胸術の跡もつ老のむなもとに心音とほくかぼそく聞こゆ 松岡建造 ホームセンターで買いし自転車パンクして自転車屋探す風強き日に 上野節子

バファローの暴走のごと走りきて人間地球に七十億人 松永博之 湯浴みさへ叶ふのならば草原のノマドになりたし大き夕焼け 庭野摩里 奥村晃作をすこし上手くして平凡にしたやうな歌をつくる歌人あり 山寺修象 もどるなき夏のゆうべの風想い朽ち果ててゆく扇の…

かなしみは挨拶もなくそこにゐて一緒にテレビを見てゐるのだな 藤田初枝 馬は頸そろりと振りて私を記憶したるらし秋の匂ふ日 高崎愼佐子 小龍包は紙よりも破けやすくしてはださむき夜の夢に出でたり 内山晶太 バランスの崩れはじめし連れ合ひが仙人掌の鉢増…

トラックが来て集めゆく空壜のよくひびくなり秋の路上に 木曽陽子 離れ住む子供らの名の書かれたる表札はこの台風に耐ふ 杉山春代 いちにんの看視員居りいちにんの鑑賞者われ静もりたもつ 小宮山有子 スリッパに白ソックスの女の足つつつとすすみ来昭和の玄…

同窓会の終りにちかく今年亡き友へ盆踊りの輪をつくりたり 佐々木和彦 送り出す30箱に手を振りぬおそらく5箱程度が戻る 津和歌子 木犀を咲かせすぎると秋風はこれ以上ないほど透きとおる エリ エスカレーターふたつ乗りつぎ食物におほはれつくす地底に着きぬ…

箪笥の環(くわん)ことりと鳴りぬ稲刈りを了へて眠りに入りゆく村に 関口博美 曼珠沙華の茎くるくると転(まろ)ばせば華はゆゆしき銀河系なす 高島藍 幼稚園受験願書にひろびろと長所欄あり花の種をまく 春野りりん ご一行バス降りたれば別れたり男便所と…

不意に降るきつねの雨はやさしくて母に似た手を頭上にかざす 今井ゆきこ 母とわれ小さき諍ひせしのちに出来あがりたる今宵の夕餉 山田政代 ヒトの足年取りゆけばさぼるのでときどき一本足で立たせる 西尾正美 世界から拒絶をされているような気がしてすこし…

発電はせねどなほ発電所とふ立地の村は息をひそめて 関口博美 放射能米をつくれぬ農の人つばめのためと田に水張りぬ 中田公子 焼きただれし線路も石も取り除き仮設の店への近道作れり 阿部凞子 除染効果は薄しといえどフクシマのひまわりの花健気に咲けり 菅…

『惜別』に太宰治が描きたる仙台のまちは池のごとしも 中井守恵 計画的避難区域の浪江町にピーピーと線量計が哭く 嫌だと 大森益雄 母たちは lemming(たびねずみ)となり墜ちゆくや子らのためにと被ばくを避けて 黒田英雄 日本はひとつと皆がいふけれどいは…

那智滝の朝の響きの頭に入りてひと日を垂るる梅雨のをはりに 大谷雅彦 蒲公英の綿毛は夜も飛びゆくや眠りに入らむとするとき思ふ 原田千万 たたみたる四枚の翅ひらくとき黒やんまの尻ややも上がりぬ 杉山春代 紙コップの糸電話から聞こえくる秘密のはなしは…

カフェラテに更にミルクを入れて飲む もうなにもかも無茶苦茶になれ 森直幹 終電に遅れぬように店を出る 世界は僕のためになどない 森直幹 新しき本のカバーにとりあえず<ヤマダ電機>のちらしを選ぶ 若尾美智子 おはやうと手を振るメールのお返しに写して…

まつ黄色に家を塗りたる人のこころ知らざるも道の案内に便利す 吉岡馨 わが視野に嬉々とあらはるる蚊のかげの濃きときのあり薄きときあり 小出千歳 死と生のあはひにしばしたゆたひぬ蚊帳のなかにて目覚むる朝は 関口博美 ながく触れぬ琉球三線かき鳴らすし…

たとえたら例はたくさんあがるけど、君の瞳は真っ直ぐ過ぎる 野栄悠樹 父の名をカタカナで書く女生徒の右耳たぶのピアスはハアト 桑原憂太郎 ハンカチを口にくはへて手を洗ひその濡れた手でポケットさぐる 西尾正美 カツゼツの悪い車掌の放送で電車動かぬ理…

Tシャツで殿下を迎へる瞬間がわが人生に用意されてた 菅野友紀 手動式鉛筆削りの存在が尊く見ゆるあほらし節電 斎藤典子 電力が足りなくなると言ううちに日本が多分なくなるだろう 若尾美智子 生き残る遊びせよとやうつせみの身に覚えなきこの罰げーむ 武藤…

紺深き今日の朝顔六つあり真先に見しは私であれ 林悠子 ジュンク堂池袋店に「塔」ありて「短歌人」より熱心に読む 山寺修象 逃げ水が舗道まなかに輝いて、あれはクリスチャンセンの足跡 生沼義朗 ただひとり生き残りゐる者のごと午前四時半のかなかなを聞く …

自販機のひかりのなかにうつくしく煙草がならぶこのうえもなく 内山晶太 シャッターの目立つ駅前商店街 虚ろな眼をした鯛焼き並ぶ 森直幹 それぞれの抱ける闇にともされし線香花火の火の玉見つむ 下村由美子 語りては元にもどりて繰り返すオルゴールに似る母…

「暑うて暑うて死んでしまう」と言う夫よ死ぬるもんなら死んでみせてよ 山本照子 もぎ立てのトマトとともに手の平に太陽の熱じわりとつかむ 中島敦子 春川ますみの乳房のやうに縦に揺れ巨きあぢさゐ颱風告げる 黒田英雄 絶筆となりし歌まで二頁となりて表紙…

ついわらうテレビの中の空回り君も君もただ一生懸命 古賀大介 シャボン玉飛んで来たるにだれもいず夕陽の中を歩みいるとき 鳥山繁之 あさなさな廊下に母のゆまり跡さみしきもののごとくに残りぬ たしろゆう 左眼の下にほくろがあることをはじめて知りぬ遺影…

人の訃を知らされている留守電にこんなさびしきことがあろうか 高野裕子 口笛を吹きて仲間を集めむかリヴァー・フェニックスはもうゐないけど 大越泉 雲はもう形を変へた妹が母に優しくしてゐるだらう 大越泉 (2012.1.20.記)

化粧塩振りたる指の所在なさ友と呼ぶべき一人はあるか 森澤真理 前の歯の二本抜けたる子の笑みを思ひ浮かべてキー叩きたり 宇田川寛之 子育てがいま楽しいと志野いへばわれのこころはしばらく和ぎぬ 小池光 今日もわれの何かが一つ終わりゆくもともと何もな…

老いはいつも初体験で若作りになっていないか不安にもなる 高山雪恵 雨の日も朝は明るいベランダに立ってしばらくふやけてしまう 猪幸絵 いま、いま、いま、じしんがくるかもしれぬのになにかをしゃべるみんなはすごい 生野檀 (2012.1.19.記)