6.18:おにぎりの日  伊波虎英選


【天】
目で殺すおにぎりの日の座長かな  信治
【地】
気の合はぬ母を迎へにおにぎりの日  櫂未知子
【人】
おにぎりの日の香具山や畝傍山  春畑 茜
【佳作】
おにぎりの日のもれいづる砂金かな  島田牙城
おにぎりの日のセロハンのけなげなさ  望月暢孝
おにぎりの日の祖母に経腸栄養食  寒蝉
おにぎりの日竹の皮より夏匂う  みずき
おむすびと呼んでくださいおにぎりの日  やそおとめ
おにぎりの日白き少年具となりぬ  文平字
おにぎりの日のシャルルアズナブルに黙  月野ぽぽな


【選評】
「あれ、「おにぎりの日」って前にもあったのでは……」
と思ったら、1月17日は「おむすびの日」だった。
記念日俳句のお題は2週間単位で発表されているので、
おむすびの日」を投句する際に、今日の「おにぎりの日」
を意識していた人は僕を含めほとんどいなかったにちがいない。
(僕が「おむすびの日」に投句した俳句は、記念日の由来からいけば、
今日の「おにぎりの日」のほうがふさわしかったかもしれない。)
もちろん記念日の由来は異なっているし、また
季語としても夏と冬まったく正反対の記念日である。
当然、そういったことがどういう形であれ、
俳句に反映されていなければならないはずだし、
「おにぎりの日」と「おむすびの日」が置き換え可能で、
どちらでも成立するような俳句はNGということになるのだろう。
ずっと選句・選評を読んできて、またこうして選をしていても、
「二物衝撃」における当該記念日(季語)の必然性について
思いを巡らすことがしばしばある。たとえば、
「佳作」の文平字さん、月野ぽぽなさんの句。難解で、僕は
明確な批評のことばを持たないが、非常に印象に残ったのも事実。
「天」の信治さんの句。
「おにぎり」ではなく「おひねり」が飛び交う舞台。
流し目の杉サマか、はたまた大衆演劇の座長か。
「地」の櫂未知子さんの句。
いくら気が合わないといっても、母親との思い出に
おにぎりは切っても切れないものだろう。
「人」の春畑茜さんの句。
記念日の由来からすれば、1月17日の「おむすびの日」ではなく、
今日の「おにぎりの日」にこそふさわしい一首。
島田牙城さんの句も、
いにしえへと誘(いざな)ってくれる。
望月暢孝さんの句。
そもそも包装シートとはそういうものなのかもしれないが、
コンビニのおにぎりの味気なさから少し視点をずらした所がいい。
寒蝉さんの句。
おにぎりの思い出が、おばあちゃんと結びつく人も多いはず。
みずきさんの句。
俳句らしい作品という印象を持ったが、さて。
「竹の皮」も夏の季語なのかあ。
やそおとめさんの句。
おむすびの日」を制定した「ごはんを食べよう
国民運動推進協議会」の訴えと解釈してみてもおもしろいのでは。


【選者吟】
おにぎりの日やおふくろの感情線  伊波虎英