動きたる香盤時計ある部屋に住みけむ人は引きこもる人  神代勝敏



ゆつたりと時間の川をさかのぼる赤いブリキの金魚がひとつ  藤本喜久恵



焼き立てのパンの香りに人等寄る一旅行者のわれもまじりて  青輝翼



頭から汗吹き出して忘れたきことは忘れむ麻婆豆腐
ユーラシアの果て無き雪の脊椎を見渡しながらラサへと向かふ  本多稜



人生の達意のひとを輪に並べ風船突かする板敷きの部屋  武下奈々子



浮島のごとく桜樹に蘖は出でおりそれが高遠に見ゆ  生沼義朗



保守派より保守派へ継がれ鬱積の信者のなかの同性愛者     宮田長洋



花の樹の影うつすらと湿りつつわれらを包む卯月尽日  大谷雅彦



町内会体操に集う町のひといっせいに腕をひろげたる朝  早川志織



薄曇りなれども春はあかるくて フローリングに綿埃見ゆ  川田由布



瞑目する提婆達多(だいばだつた)の諦念の宇宙にやあらむ座禅草もゆ  松永博之



六十の佐太郎の歌刻みたる石のおもては春陽にぬくむ  寺島弘



知りたるを寂しみ思うひるの卓みみのかたちの餃子食みつつ  相川真佐子



先端に近き方ほどよく揺れて葡萄の棚より蔓の垂れたり  梶倶認



風孕むビニールシートがうねりつつ匍匐前進してゆく荒れ田  松村洋子



骨までもあたためらるる日ざしなり森のベンチに深く息する  海野よしゑ



ゆつくりと空より窓があらはれて見る見るうちに入り口となる  真木勉



単純な回路をつなぐちくちくと痛む乳房をふくませながら
面ざしの似ている不思議 桃の実が君のまなざしもて見つめくる  鶴田伊津



久慈川は一行短歌二句三句あたりに妻と週末に立つ  大森益雄



夕焼けに染まることさえ呪詛にして山一証券旧本社ビル  藤原龍一郎



金烏(きんう)とか玉兎(ぎよくう)といへる日月は宇宙の闇へ逸れつつあらむ  三井ゆき



五百対一で羅漢に真対へば五百の息はわれを解する  檜垣宏子



正門の桜の落花しとどなり鬨の声上ぐ警察学校  鈴木律子



山あをしどこまでもあをしみづからもけじめなくあをし五月は  山下冨士穂



深々と山ふところに身をおきて夏へと動く季節見ている  谷口龍人



川風に卍ともゑの花ふぶき子捕(こと)ろ子捕(こと)ろと蕩(と)ろ蕩(と)ろ夕日  小川潤治



暑き日の先ぶれとして死魚あまた泛かせて朝のメナム河あり  長谷川莞爾



運転席の後ろに陣取る雨傘は金五百円也バスが売る傘  知久安次



ゆふぐれにさまよひいづるすべもなきたましひが歌を書きつけてをり  菊池孝彦



切れ味の落ちたるわれと思ひつつ日曜はゆく<アザミ美容室>  吉浦玲子



がらくたが雪の消ぎわに日を浴びていらだつばかりの光太郎忌  石川良一



男性器切り落とされしのち七度南海遠征なし遂げし鄭和(ていわ)  西台恵



菜の花の咲きあふれたるなかをゆき言葉あらざる世界を思ふ  原田千万



ブラウスにインク滲みてたちまちに幻の青き薔薇を生れしむ  木曽陽子



街上のくぼにたまりし雨水はいくたびとなくくるまに轢かる  小池光