◆「夜のプール」金沢早苗
われを待つ人ゐるやうな夕べなりどこまでゆけども信号は青
木陰にて撮る家族写真ばらばらの時間をやつとひとつに集め
ひろびろと湛ふる水をそよがせて風あつまりぬ夜のプールに
こんな小さな文字かく人になりしかな冷たき雨に葉書は濡れて



◆「雲の名前」橘夏生
考へもなくまたはよく考へてつるりと子を産む友はすこやか
そのほかに居場所をもたぬしあはせありうさぎ係りはうさぎとなかよし
サッカリンのやうにかなしきまつげかな中原淳一高橋真琴
クエン酸シルデナフィルの箱が立つ厳かなりし義父の机は



◆「ヘブンリーブルーを待って」林悠子
束子など配りてビルの一室へ誘う手立ての人の群れあり
「整体」の看板の上明日にも飛び立ちそうなつばくらめ五羽



◆「義母と居る家」山本栄子
にわか雨過ぎて縹を取り戻すあっけらかんと一枚の空
夏風邪の義母に炊きいる白粥の淡き濁りのようなるひと日
わたくしの愚痴を聞きつつ丸まりて夏の厨の白玉団子



◆「辞書」川明
<初出>また辞書にあれども歌人(うたびと)の使ふ言葉と意味ことなれり
びらん樹は別名バクチの木といふを辞書にて知りぬ 辞書はたのしゑ
素(さ)水引けばSAMIZDATがならびゐつ 辞書は悲しき歴史もきざむ
変換で出で来し<引水>辞書に無く<淫水>のみが収録されゐつ



◆「大府から…」青柳守音
急に雨降りだしたから週刊誌表紙のチェ・ジウ顔がゆがんだ
トヨタグループ十日間の盆休み朝の道路を行く清々と



◆「特急山手線」若林のぶ
日本人の横綱一人出るまでは生きてをりたし若鮎に塩
亭主ありて徘徊俳句垂れながす短歌は女房魚玄庵の風鈴
味噌汁にごきぶりホイホイ入れないで貴方死にますわたしも死にます



◆「杜の都で弓を弯く」村田馨
新婚の家庭もいろいろあるという例えば弓を弯けぬストレス
一張りの弓を携え新幹線<こまち>の屋根の低さを愚痴る



◆「忘れられない」明石雅子
古き良き友は白磁の壺として時折ながめてゐるはうがいい
たちあふひ膨らみゐたり「亡国のイージス」観て来し発寒河



◆「圏外の朝」岩下静香
あやまたず我が子を迎え帰りゆく母たちにまだ暮れない一日(ひとひ)
写真一枚同封しますと書かれいて写真なきなり伯母の手紙に
雨音と椰子の葉音のざわざわを三日目にして聞き分けられず



◆「黄夏抄(わうかせう)」榊原敦子
やや酸ゆき夏の体臭のこりゐてわれはからだと共にまだ在る
地元名士県会議員のまづ妻が他界し母逝き本人も消ゆ



◆「ひかりを掬ふ」春畑茜
寒天のうすくれなゐにあはき白午後のひかりを匙は掬へる
みづいろは傘のかたちにひらかれてわが日の暮れを雨に濡れをえり
灰白の志野の小皿のうへにしてひとつぶおほき梅干は光(て)る
西瓜食み終へては西瓜欲るこころ生くるかぎりを渇くかわれは
矢田川のむかうに街の灯はあふれあふれてさびし旅の終りに



◆「二十一世紀五回目の夏」斎藤典子
白桃の香り満ちつつ明るめり新(にひ)ほとけなき夏の仏壇
老いてゆく親族ばかりゆるゆると千里の丘にピクニックする
敗者とは美しきものと思ひたる思ひ違ひは十代のこと