「春のノブ」洞口千恵
水縹(みはなだ)の紗のひろごれる天空の奥処に春のノブは光れり
まぼろしの雪山(せつさん)童子去りゆきて春の吹雪はたちまちに止む
瀬戸内の能島(のしま)来島(くるしま)因島訪ひたし海彦にいざなはれ



「名告らさね」平居久仁子            
晩霞背に東京タワー立たしめて展望室から漏るるざわめき
背広からかすかににほふ花の香の・・・誰が阿呆かわかつてしまふ
たいしたことやあらへんわ 泣くな 鳩尾はぽつてりかなしい鳩餅のかたち



「海近き道」荒木美保
春の耳今潮騒を聴いておりいつか帰らな早く帰らな
蛸飯を炊いて三月終わりなば新しきこと何か起これよ
わたくしはこんな顔かもしれないと描かれた線のぐじゃぐじゃをみる



「日暮客愁新」久保寛容
貝の死の散り敷かれたる砂浜をわが思い種(ぐさ)は晒されて行く
廃れたる若衆宿の土台石にとかげは春光まといてさかる
夕星に木橋 わびしき残光に人恋うこころ曝しつつゆく



「冷えてゆく指」平林文枝
ストロフルスのおとうとの脚の包帯も構えし二丁拳銃も 見ゆ
高田美和の涙ひとしずく受けてああ怒りの大魔神崩れたりけり
痛いほどに冷えてゆく指、指先に宿るさびしいいろは紫陽花



「成り行きとして」石井庄太郎
早々に会ぬけて来てネクタイを外し自販機の珈琲飲む、さて!
岬山(さきやま)の左右(さう)の汀に咲く桜かたみに在るを知るなくて咲く
ふぶき止まぬ桜にひと日洗われて阿呆になるか仏になるか



「とぎれた夢」矢野佳津
組みたくもなき人と組む仕事にて日々すりきれてゆく端である
憤りを小さな火竜として放つ五、六、七匹やがて鎮もる
紙の上に放たれしこのサラマンダー飼ひならしたら売りに出さうか



「光」谷村はるか
ふたり違う言葉話していたのかも いや、いるのかも 朝刊が来る
恨みでも拒否でもいいから言葉をくれ郵便受けにはDMばかり
言葉が欲しい言葉欲しがるばっかりの飲めば飲むほど乾く喉して



「リシングル」正藤義文
障子より洩れくる冬のうすあかり目覚めて今朝もひとりと思ふ
山茶花の花ちる庭に単色のわづかばかりの衣類を干しぬ
できあひのおかずに飽きて料理の本よみつつ作る鰈の煮つけ



「Family Tree」生野檀
ノーメイクの私に向かい言わなくていいのに祖母は「別嬪」と言う
ニートなる言葉おそらく知らぬ祖母いわく「檀が元気で良かった」
<家族になる前のふれあいコーナー>で嚙みつかれたと騒ぐ少年



「春の水」畑中郁子
午前二時音を消し見ているテレビ野に降りしきる雪・雪・雪の
土の香の風がひとすじ頬を撫づ大地の神が目覚める季節
終着の駅は始発の駅 春が来たる淡色の海を見にゆかん



「買物リスト」楠藤さち子
サンタクロースの運び来し機関銃タリバンのごと孫の手にあり
華甲には華甲の花も咲かむかと真つ赤なジャケット畏れつつ買ふ
駅前の放置自転車雨に濡れ兵馬俑のごと声なくならぶ

 



                                                   (2007.1.7.記)