有り余るもの整然と現王立戦争博物館旧精神病院  本多稜



硝子戸に猫背の母の泛びたり稲妻は見する昼の幻覚  西粼みどり



短歌は詩さうだけれども詩心の枯れて歌詠むことに意味ある  大橋弘



言い方が母(オモニ)と袋(チュモニ)は似ておれば「お袋」ということば気になる  加藤隆枝



熱しゆく鉄板に溶けはじめたるバターのやうな闇に眠れず  倉益敬



しばしばも見てぞ確かむ雨だれの窓ガラスとは何とさびしき  阿部久美



晩夏光のなかに慄く 少年の耳の産毛はいっせいに光り  生沼義朗



飴色のアンパンマンの風船を天井に捨ててゆきし幼子(をさなご)  中地俊夫



扇風機ひとつと父は坐しゐたり病む母の居ぬ母屋の居間に  春畑茜



誤りてピアス買ひ来ぬロシアより致し方なく耳に穴あく  小宮山有子



着メロは「渡る世間は鬼ばかり」鬼はおよそ二十人いる  川島眸



人がみな豊かに見ゆるデパ地下をかき分けかき分け空気をさがす  檜垣宏子



停電の朝を静かに暑くなる東電OL殺人現場  八木博信



サーベルは歳月を経てブリキ光(かう) 元ナチス党員ギュンター・グラス  橘夏生



ゆつくりとペダル漕ぎつつ老人の乗る自転車は宙に浮き行く  真木勉



われのすふ煙草に感じたちまちに人は咳(せき)こむ三メートル先に  小池光



朝と夜に決まつて過ごすふたりゐて慣れ始めたり家族とふこと  宇田川寛之


 
                                   (2006.12.16.記)