◆『北二十二条西七丁目』 田村元歌集


 二〇〇二年に「上唇に花びらを」で歌壇賞
を受賞した作者の第一歌集で、一九九八年か
ら二〇一二年までの三七一首を収める。一九
七七年生れ、「りとむ」「太郎と花子」所属。


  日常を肯ふやうにまひまひが祭のあとの大学を行く


 北海道大学在学中の住所を歌集のタイトル
とし、同名の1章に大学時代の歌一九首が並
ぶ。そのモラトリアム期の歌数が絶妙で、歌
集の大方を占める2章以降の社会人になって
からの歌をより際立たせる構成となっている。


  足元のアスファルトから春は来てわれはねばねば駅へと歩む


 春の訪れをアスファルトのねばり気から感
知するのは学生には無理(「会社へ行かねば、
ねば…」なのだ)。仕事の歌に限らず、作者
の日常がしっかりと詩に結実している一冊だ。


  ポケットに枯野を折りたたんでゆくやさしいはずの人に逢ふため
  人の世の夕暮れゆゑかスーパーの荒川さんがこころに沁みる



本阿弥書店 〒101-0064 東京都千代田区猿楽町2-1-8 三恵ビル 
                電話03-3294-7068 定価2,600円+税)


                               伊波虎英


            (註)文字化けしてしまうため、
               文中、ローマ数字を
               「1章」「2章以降」と表記しています。



◆誌面で紹介できなかった歌をいくつか   

ささやかな抵抗として滑り台逆さに登りて帰り来たれり
俯きてゐるわれに来よこの国の誰よりはやくけふの落日
ピアニストみたいにキーを打てどわが猫背は神に嫌はれてゐる
もう何処へ行つてもわれはわれのまま信号待ちなどしてゐるだらう
この街にもつと横断歩道あれ此岸に満つるかなしみのため
暗きことかなしきことを思ふときわれは遠くの伽藍であつた
秋の気は女(をみな)の名前負ひて来つ煉瓦の道に躓きながら
をみなより先につぶれて春の星点(つ)けつぱなしのまま眠りたり
がむしやらに書を読み初めしころよりか空飛ぶ夢を見なくなりたり
水鳥の羽音 わが名を薄墨で内ポケットに忍ばせて行く
企画書のてにをはに手を入れられて朧月夜はうたびととなる 
涸谷(ワジ)を行く一小隊に若鮎のやうな詩人が ゐないと言へるか
食卓に微笑む乙女ひとりをりおかめ納豆のカップ、の他に
俺は詩人だバカヤローと怒鳴つて社を出でて行くことを夢想す
蓋のない記憶と思ふ 菜の花の瓶詰めにぽんと山の香がして
面白きこともなき世のラーメンにちよつと加へる行者ニンニク
「あつてはならない」ことあまたある世の中に酒があつてもよくて良かつた
アメ玉が転がりゆけばアメ玉をみな見てしまふ午後の電車に 
この街にたゆたふ時をつかみかねわが家の時計遅れがちなり
冬晴れやビルの谷間に富士山が見えれば人の立ち止まる国
われはいま水族館へ行くのだと暗示をかけて職場へ向かふ
かまぼこのやうに月日を刻みつつ時に分厚い一日に会ふ
藤棚のやうに世界は暮れてゆき過去よりも今がわれには遠い
ひとしきり普通列車は立ち止まる桜咲く駅にドアを開いて
こんなにも冬の日差しが明るくてさみしさの底にふるさとはあり
乾きゆく冬の木の幹 空蟬の人生だから家は買はない
旧姓を木の芽の中に置いて来てきみは小さくうなづいてゐた