◆『梅雨空の沙羅』 宮本君子歌集


 コスモス短歌会に所属する一九四七年生まれの著者による第二歌集。
二〇〇〇年秋から二〇一六年春までの作品四三七首を収める。


  愛想のよき中年の奥にある哀しさに似て梅雨空の沙羅


 タイトル『梅雨空の沙羅』は、歌集を読み始めてまもなくあらわれ
るこの一首から採られている。著者が、梅雨時の曇り空に映える白い
沙羅の花に心を寄せて感受した〈哀しさ〉について、思いをめぐらせ
ながら歌集を読み進めていくのがいいかもしれない。


  歳月はくすぐつたくてさびしくて、若き日かへれとつゆ思はざりき
  きのふわがせしこと覚えてゐるをさな畳の蟻を指にて殺す
  夜を渉る月仰ぐかなわれらみな時の汀にころがる小石
  ふたりだけになりたるイブは和食なり河豚刺しうふふひれ酒ほほほ
  文旦は甘くはないが酸くもなくほろほろとわが来し方に似る


 沙羅の歌に戻ると、自らの人生の歩み方への矜恃が梅雨空に咲く沙
羅に象徴されており、この〈哀しさ〉は〈愛しさ〉につながるものだ
ということが歌集全体を通して理解できたように思う。


  花畢(をは)る瓶の紅薔薇切り詰めて庭土に挿すがんばれ、いのち


 歌集の掉尾に置かれたこの歌の「がんばれ、いのち」という呼びか
けに、著者の優しいまなざしを感じた。


(柊書房 〒101-0051 東京都千代田区神田神保町1-42-12 
      村上ビル 電話03-3291-6548 定価2,300円+税)

 
                              (伊波虎英)




◆誌面で紹介できなかった歌をいくつか  

夕闇のさくらの白き淵のなかたれかを追ひてわがこころ行く
風の日の竹叢さびしたましひの葉擦れのやうな音をひびかす
図書館の朝一番は書架整理絵本の棚の乱れはうれし
わたくしはみつけられたくないのですそんな感じにひつそりと歌集
素うどんのやうな旨さはむつかしい書きつつ思ふ読みつつ思ふ
夕ぐれはどこかへ帰りたくなるかベッドの姑が遠き目をする
傘さして自転車とばすわが長女働く母のさかんなる眼に
蛍火のやうにときどき点滅すとほく過ぎたる子育ての日々
悔やんでもしかたがないと金木犀今宵めつぽふ澄みつつ匂ふ
安来節踊るはさぞや愉しかろ講座案内しばらく眺む
中年と呼ばれはじめてすぐ老年山茶花くるしきまでに咲き満つ
新しき電池を入れしその瞬間きのふのつづきの秒針うごく
老年のとば口にしてままごとのやうに夫と朝食つくる
玄関の網戸はふたりが居る証拠ひとりが出れば鍵かけ籠る
晩年の母と同じだ鶏に似て来し目元鏡にみつむ
待つといふ深き翳りを思ひ出すみづがねいろの秋の噴水
雛の日に夫が買ひ来し金平糖ひとつぶおとす紅茶の中へ
ひゆるひゆると言葉の蔓は伸びはうだい女ばかりの春の電車に
さう言へば夫より他に言ひ争ひしたことがない、この四十年