◆『うたがたり』 小谷博泰歌集


 「白珠」「鱧と水仙」に所属する一九四四年生まれの著者による第
九歌集。四二六首を収め、未発表作品が多いという。二〇一五年六月
から二〇一六年五月までの一年間に詠まれた歌というから精力的に作
歌活動をされている方のようだ。


  縄とびの波のしだいに速くなりころがって出たわれは白髪


 時の流れが加速度的にはやくなる身体的感覚を、大縄跳びの縄の回
転になぞらえて老いを捉えたこの一首は、玉手箱を開けてしまった浦
島太郎のおとぎ話のように幻想的で、美しくもある。この印象的な歌
が最後におかれた「私が住んだいくつかの町」や、


  ガス灯のともりていたる道を来てさびしき町に迷い込みたり


という歌ではじまる「暗い道」の、あたかも上質な掌編小説を読んだ
ような気持ちにさせてくれるノスタルジックで幻想的な一連にとりわ
け惹かれた。


 あとがきには、「作者からは自立した作品を生むべき沃野」を「耕
してみよう」と、特に二〇一五年十一月頃から意識的に歌を作り出し
たとある。著者の歌の世界にわれわれ読者は自由に浸れば良いのだ。


  死ぬるまで犬を食わぬも人生かうまそうな犬が散歩しており
  昼さがりの心弱りにふわふわとビニール袋が並木道行く
  そうか俺もいつか誰かの思い出にちらちらと見えるときがあるのか


(いりの舎 〒155-0032 東京都世田谷区代沢5-32-5 
       シェルボ下北沢403 電話03‐6413‐8426 定価2,000円+税)

 
                                 (伊波虎英)




◆誌面で紹介できなかった歌をいくつか   

何という映画だったか喫茶店で曲聞きおればコーヒーにがし
壁に掛かる古き絵の中の家にしてときどき人のいる気配する
なんとなく自分が自分でないここち見た夢忘れてしまった朝の
ふわふわと漂うように生きて来て残る煩悩あるを楽しむ
呼び出しのボードの数字見つめおり死ぬ順番を待つかのように
奥深き公設市場の休日の暗がりに小さな地蔵の祈る
遠き日の路地にスカートをたくしあげゴム跳びをする女の子たち
まひる小便小僧のしょうべんの音を聞きつつベンチに眠る
失いしものの多さよ逃げるように人生を来て春のまぶしさ
雨ざんざきのうもきょうも降りつづくはやき流れに水輪(みなわ)を書きて