◆『舟はゆりかご』 小黒世茂歌集


 「玲瓏」編集委員の著者による第五歌集。二〇一二年後半から二〇
一六年前半の作品三〇八首を収める。


  炎(ひ)ふく音と炭切る音の聴こえくる鍛冶場のそとより頭下げたり
  海神へつづく鳥居をぬけるとき異国の声ごゑ寄せては返す
  吉野にはあの世この世を縫ひあはす針目のやうな蝶の道あり


 一首目は、刀匠の河内國平を吉野に訪ねた際の歌。二首目は、対馬
あとがきに「日本の原流を探索する旅を続けてきた」とあり、他にも
西行ゆかりの地を巡るなど様々な土地を精力的に旅する著者の歌が多
く収められている。そして、亡き父母、九十歳を過ぎた姑や八十歳を
過ぎた姉、我が子を詠んだ家族の歌が歌集のもうひとつの柱である。


  実母には抱かれしこと継母には背負はれしこと 舟はゆりかご
  おおきな夢ちひさな粘りの父でした あの世の祖(おや)さま、叱つてほしい
  心音のぢかにひびける近さにて姑を呼ぶときその頰ゆるむ


 一、二首目は、「舟はゆりかご」の一連から二人の母を詠んだ歌集
タイトルとなった歌と、父を詠んだ歌。一連の最後に添えられた文章
で、自身の性別不明の名前の由来や、複雑な家庭環境の経緯について
語られており、別の一連には実母との辛い思い出も詠われているが、
還暦を過ぎた著者の歌には父母への温かみを感じる。タイトルには、
生まれ育った和歌山の海への思いも込められているのだろう。


本阿弥書店 〒101-0064 東京都千代田区猿楽町2-1-8 三恵ビル 
         電話03-3294-7068(代) 定価2,800円+税)

 
                             (伊波虎英)


  【註】正しくは、5首目の「おおきな夢」は「おほきな夢」、
     あとがきの中の「原流」は「源流」ですが、原文のまま引用しています。





◆誌面で紹介できなかった歌をいくつか   

国の名に穀物実るめでたさの粟は阿波国、黍は吉備国
夜の土はけものの孤独をあたためる匂ひに満ちたりおな神の森
〈一本たたら飛び出し注意〉の標識のあればたのしも高野坂にて
いつの日か失くせし磁石も文鳥もみつかりさうな森のふところ
世のひかり海の底からみるやうな真珠の眼をわれは欲るなり
ふくらはぎにしがみつく犬抱きあげて無何有の秋のただなかをゆく
黒鯛は渦の底よりうねりつつ鯛はけふより花の名冠る
いつの間にかわれの首よりずり落ちるマフラーのごとちちはは逝きし
物足りぬ土曜の街に手の平をひろげてゐたり夕占(ゆふけ)のひとに
山吹はざんざんと散りわれの書く母の字いつだつて斜めにかしぐ
それぞれの背中に過去のにじむといふわれは痒かり孫の手借りる
ここ何処?とふ不安の背なかさするとき涙こぼるる吾のあかんたれ
十のうちひとつは辛きものまじる獅子唐パックみたいな会話す
      今年のカレンダーは富士山から
なか宙(そら)より見おろす冬の富士山は列島に置く舎利のひとつぶ
平均寿命とつくに過ぎたる姑はいまお猪口のやうにちんまり坐る
〈失敗は成功の墓〉の誤植文字にゆゑなき冷えはふとももを這ふ
なかぞらに両手のばせば顔見えぬ嬰児がわれの親指にぎる
気をらくにすれば猫背にもどる夜の机のまなかに『水銀傳説』
生家には長くてなんにもないトイレットペーパーみたいな歳月があつた
松の樹におまへも立つたまま老いてみるがいいさと見下ろされたり