◆永井陽子第5歌集『モーツァルトの電話帳』(河出書房新社 1993年)


「本歌集は、一九八七年(昭和六十二)から九三年(平成五)までの七年間の作品より、
主に人名・書名などの入った短歌一八〇首を選び、一首の始まりの表記によって
五〇音順(歴史的かなづかい)に排列しました。」と最後に説明があった。
そういう歌集の構成の仕方もあるのか。
最近、意識的に言葉遊び的な歌を詠んでいるせいか
言葉がリズミカルに踊りだすような暗誦性のある歌に特にひかれた。
「短歌の私性」を意識的に排除したような彼女の歌づくり。
私もそういう短歌を詠みたいとおもっているので
ほかの永井さんの歌集も読んでみたいとおもった。
四十代という若さで亡くなったのが残念。



あまでうすあまでうすとぞ打ち鳴らす豊後(ぶんご)の秋のおほ瑠璃(るり)の鐘


海のむかうにさくらは咲くや春の夜のフィガロフィガロさびしいフィガロ  


ゆふさりのひかりのやうな電話帳たづさへ来たりモーツァルトは  


秋の陽をかばんに詰めて帰り来るをとこひとりと暮らすもよけれ  


かたはらにひとありひとの息吹ありさりとて暗しこの夕月夜  


聞いてごらん さやさや水が流れゐる竹の内部のゆふやみの音  


休館のうすくらがりの天井へさまよひのぼるゴッホのひばり  


北向きの廊下のすみに立たされて冬のうたなどうたへる箒  


きっぱりと人に伝へてかなしみは折半せよと風が吹くなり  


さびしければ風のひと吹きごとに揺れ春のひかりのなかのガガンボ  


さやさやさやさあやさやさやげにさやと竹林はひとりの少女を匿す  


十人殺せば深まるみどり百人殺せばしたたるみどり安土のみどり  


セーターを洗って干せば風が来てほそくかがやくかひなを通す  


曇日のなぞなぞ遊び繰り返す子らのこゑやがてばけもののこゑ  


なにとなうわたくしはただねむたくてねむたくて聞く軒の雨だれ  


待ち合はす南大門に雨降ればくるぶしが寒さうな仁王よ  


森の人オランウータン もともとはあんなさはやかな歩行であった  


夜ごと背をまるめて辞書をひくうちに本当に梟になってしまふぞ 


るるるる……と呼べどもいづれかの国へ出かけてモーツァルトは不在  


嗤(わら)ひをるあの白雲め天と地のつっかひ棒をはづしてしまへ


 
                                         (「虹のつぶやき(60)」より転記。)