◆永井陽子第6歌集『てまり唄』(砂子屋書房 1995年) 300首。


モーツァルトの電話帳』に引き続き、彼女の歌集を読んでみた。
「あとがき」で、永井さん自身が
「どちらかというと私性の強いこれらの作品」と書いているように、
脳梗塞で倒れ、施設へ移り亡くなった母へのあふれる思いが印象的な歌集だった。
「鹿たちも若草の上(へ)にねむるゆゑおやすみ阿修羅おやすみ迦桜羅」
という有名な歌もこの歌集におさめられている。



しわしわの紅がほどけてこの夏の疲れのごとき朝顔が咲く  


風さへも触るるなこれは野の神に今日たてまつるひかりのすすき  


むくつけき素手もてこころ盗(と)りに来よ落書は春の空にするべし  


塔頭の内なるものらいちはやく耳を澄ませて聴く春の音  


青麦のやうな背すぢをもて拒む阿修羅に似たりかの少年も  


のぎへんの林に入りてねむりたり人偏も行人偏もわすれて  


かぞへうたかぞへかぞへて石段をくだればおのがこころの中ぞ  


生きることがさびしい時に聞こえくるこの世のいづこ水の漏る音  


今朝ひとつおばけ芙蓉が咲きました人をさびしむ言葉のやうに  


仕事にも飽きて閉ぢたるまなうらにれんげが咲いてゐるではないか  


新しき鋏は夜のしじまにてひとを恋ほしみしやきしやきと鳴る  


中堂に仏はねむりわたくしは旅の地にあり人とへだたる  


四つ辻はつねに魔物の棲むところ母よ日暮れの方へ歩むな  


苦しみを背に負ふものは仰げとぞ空に枝を張るゑんじゆ 鬼の木  


長年の風雪に尾も色あせて風見の鶏(とり)はもうねむりたし  


結び目がほろほろ解ける春の夜のさくらといふはうす気味悪し  


付き来るはひとのこころのあをびかり鯖街道に降る春の雨  


てまり唄手鞠つきつつうたふゆゑにはかに老けてゆく影法師  


螢光灯を消せば事物の影も消えしづかに雨の降る夜となる  


人間はひとりひとりがからつぽの壺 ひゆるひゆると風の音する  


冬の雲のつしのつしと歩くゆゑ病み臥すものは真におびゆる  


あふむけば何もかにもが御破算の空わたりゆく風の帆が見ゆ  


地の水を一夜のうちにことごとく汲み上げたるがごとき群青


 
                                         (「虹のつぶやき(63)」より転記。)