◆斎藤典子『サイレントピアノ』(青磁社 2002年) 328首。


「短歌人」所属。歌から察すると教師をされている方のよう。
関西在住ということで僕もよく題材にする梅田の赤い大観覧車や
太陽の塔、じゃんじゃん横丁などの歌もあり親しみを感じながら読んだ。



雨の夜に産まれて来たるはかなさをこの子はいづこに宿してゐるらむ  


いにしへの樹のかをりして鹿鳴けばひとの持ちたる時間滅びむ  


良識に追ひつめられてうすあをき息を吐きをり日々のあはひに  


濁りたる春と思へり爪切りを探してさへも苛立つこころ  


精神のうすき汚れに耐へがたくじやんじやん横丁をほつつき歩く  


もうひとりわれが遠くの河にゐていつまで経つてもふりかへらざる  


橋のうへ釣糸を垂るる遊びして少年はけふを美しく失ふ  


あをいろの雨傘のなかの少年の貌緊まりゐて惑星のごとし  


言葉より激しき雨の降りはじめわれらをしばし沈黙せしむ  


心から笑つてゐる顔を知らぬままこの十八歳を卒業させゆく  


純粋が狂気となりし時代ありうらがへりつつひらたき平成  


無関係の死が繋がりゆかむ 「宅急便でーす」 インターホーンより聞こゆ


川の水退いてまなかに歪なる石あらはれて陽に曝されてをり  


一瞬に皮を剥がされしろき身をさらす魚にも似たる神経  


三歳の写真のわれが笑ひたる過ぎゆきよりも春は来るらむ  


一日の終はりに眼鏡をはづすときひときは夜の匂ひのつよし  


八月の夜の暗さに滲みゆき広がりゆけり白さるすべり  


緑陰の風に吹かれて置き去りのままに消えゆくひともありなむ  


朝のバス遅れてきたるを待ちをれば何かがゆるりと壊れてゆかむ  


ときに思ふ地震の次に大きなる影もて覆ひくるものの正体


 
                                         (「虹のつぶやき(80)」より転記。)