◆ 同じ土俵に  


 昨年12月に発行された『GANYMEDE』26号の「歌壇時評 ネット歌会のこと」
で足立尚彦氏は、メール短歌同人誌『ちゃばしら』11月号に掲載された五十嵐きよみ氏
の「ネット歌会へようこそ」に触れて次のように述べていた。


 「この五十嵐きよみの発信をきっかけに「ネット歌会」出身の歌人たちの発言もこれか
ら活字上に頻繁に登場してくる可能性があるし、私はそのことに期待をしてもいる。」


 実際、『ちゃばしら』11月号を『歌壇』編集部が目にしたことを契機に、『歌壇』2月
号において特別企画「インターネットの場と短歌」として10ページもの誌面が割かれる
こととなった。今回寄稿した二人は「ネット歌会」出身者ではないが、五十嵐氏「インタ
ーネット歌会の現在」はネット歌会主催者として、また魚村氏「歌会とネット歌会の相違」
はネット歌会と通常の歌会両方に参加する立場からの明快な論考であり、「既成の歌壇」
と「ネット歌壇」との楔(くさび)となる記事といってもよいだろう。


 今年初め、私はネット上に公開している日記に「そろそろ歌壇時評のひとつの枠として
「ネット歌壇時評」なるものに誌面を割く短歌誌が出てきてもいいと思っている。」と書
いた。足立氏のいうように、今後「ネット歌人」たちの発言がどんどん誌面を賑わしてく
れることを私も期待したい。また、編集部サイドには、「既成の歌壇」の側からの反響、
意見もフォローしてくれるよう希望する。こういった意義ある企画、論考が一過性のレポ
ートで終わってしまっては何の意味もないのだから。結社誌、短歌誌を問わず、「既成の
歌壇」と「ネット歌壇」との交流が盛んになり、お互いが揺さぶられ影響しあいながら歌
壇が発展していく、それが歌壇全体のためにも理想の姿であるはずだ。


 そのようなことを考えていたところへタイミングよく、謎彦氏が結社誌『塔』誌上に今
年1年間、「ネットの中の蛙」というネット短歌時評を掲載すると知り非常にうれしく思
った。1月号では、五十嵐きよみ氏の「ネット歌会へようこそ」を俎上に載せ、「極論す
れば、初級者の詠草ばかり百年間議論したって、何の研鑽にもならない。それよりも名歌
集の読書会を開くとか、「上級者」たちの歌会を盗聴でもする方が、有限な余暇の活用法
としてふさわしかろう。個々のネット歌会は、そこでなされる批評の質だけでなく、出品
作の良否によっても値踏みされてゆくべきではないか。」と歯切れのよい評論を展開して
いる。(既に1月号と2月号掲載のコラムは、謎彦氏のサイトで読むことが可能。)


 ネット内においては、既に五十嵐・魚村両氏への異論も含めたいくつかのコメント(ひ
ぐらしひなつ氏、なんの菅野氏、星川郁乃氏等)を目にした。また私の掲示板では、謎彦
氏のコラムについて議論が交わされたりもした。こうして各々がそれぞれの場で何らかの
意見表明をすることはとても意義あることだし、開かれた場で気軽に、スピーディーに意
見を公にできるというのがネットの利点でもある。しかしながら、今回のような大きな問
題については、それぞれがバラバラの場で意見を述べるのでなく、共通の場で議論をする
ことが必要ではないだろうか。共通の場でじっくりと議論されたことを再び短歌誌等へフ
ィードバックする。そういった働きかけをしていかなければ、結局ネット内で意見がくす
ぶった状態では「ネット歌壇」「既成の歌壇」双方が消化不良を起こしかねない。


 ネット上で短歌についての提言・ディスカッションに活用できる場としては、たとえば
荻原裕幸氏が開設している「31フォーラム」がある。もちろんそういった既存の場を利用
するのもいい。しかし私は、五十嵐氏のような立場にある人が、ネット歌会主催者として
の自らの見解を「既成歌壇」に発信するにとどまらず、積極的に議論の場を設け、ネット
内の意見を汲みあげた上でネットの外へとどんどん発信していってほしいと願っている。


 今回は、「ネット短歌」が「既成の歌壇」という土俵にあがるにはという観点をポイン
トに、『歌壇』2月号の特別企画について考察したため、五十嵐・魚村両氏の記事の論旨
(ネット歌会の指導的立場不在の問題、批評の批評の「座」としての難しさ等々)につい
て具体的に細かく突っ込んで意見を述べることができなかった。


 少しだけ言わせてもらえば、現在のネット歌会乱立の状況にあっては(五十嵐氏によれ
ば、ざっと検索しただけで、掲示板を利用したオープンなネット歌会は15を数えるまで
になっているという)、歌会主催者は、歌会を主催する目的をさらに明確に絞ったうえで
明示し開催していくことが要求されるだろう。また、指導的立場と成り得る上級者や中級
者の歌人を歌会にゲストとして招くなど、ヒエラルキーを生むことのない指導のしくみを
ネット歌会に導入していく方法を模索するといったような斬新な企画力や強力なリーダー
シップの発揮がますます要求されるだろう。一方で歌会参加者は、数多くある歌会から自
分にとっての最良の場を選択するためにも、歌会に参加する目的(歌作の目的)を再確認
し、目的意識を強く持って臨まなければならないであろう。「既成の歌壇」「ネット歌壇」
という区別なく、純粋に「歌壇」という同じ土俵にあがるためにも、「ネット歌壇」の質
そのものの向上、およびそのためのしくみづくりが必要不可欠なのだ。


 一方、ネット歌会を傍観している上(中)級者歌人はもちろん、ネット短歌というだけ
でほとんど事情も知らず拒否反応を抱いている上(中)級者も、ネット短歌に積極的に関
わりをもってほしいものである。


      ◇     ◇     ◇     ◇     ◇


 話は変わるが、この特別企画のすぐあとのページに掲載されていた「主題への執念と蓄
積を」と題した島田修三氏の文章も目に留まった。本阿弥書店から第一歌集シリーズとし
て刊行された「ホンアミレーベル」へ、そしてシリーズのトップをかざった3人の新人歌
人(錦見映理子氏・矢島るみ子氏・笹谷潤子氏)、またすべての新人へ向けた叱咤激励の
文章である。それに関連して、「(ネット歌人たちの)歌集という前世代メディアへの回
帰あるいは移行が目に付き始めたのである。」という謎彦氏の、前掲「ネットの中の蛙」
2月号での時評にも注目した。


 私自身も出版社からではないが、つい最近手づくりの私家版歌集をまとめたこともあり、
その経験からネットと紙それぞれの媒体については思うところがある。いつか私家版『観
覧車日和』上梓の顛末を書く機会があれば触れてみたい。


                            (「ちゃばしら」2003年2月号掲載)