◆ インターネットという〈 場 〉


 足立尚彦氏が「ネット歌会の指導者って……」(『歌壇』五月号)で、指導
者的役割を担う者が存在しにくいネット歌会では、参加者が私淑に近いかたち
で指導者を見極めていくことが必要だという趣旨のことを述べている。


 私は、一年半ほど前に「原人の海図」(URLは文末)というサイトに出会
い、はじめてネット歌会というものに参加した。当時、短歌総合誌などに投稿
するのみだった私にとって、作品を発表し短期間のうちにコメントをやりとり
するこういったインターネット上の〈場〉は非常に魅力的だった。指導者を求
めてというより〈カラオケ〉的な参加だったといえるだろう。何度か歌会に参
加しているうちに、私淑とは違うが、自分の作品をこの人に選歌してもらいた
いとか、この人にコメントしてもらうとうれしいといった気持ちがうまれてき
た。


 「原人の海図」だけでなく、同時期に知った「梨の実歌会」をはじめいろい
ろなネット歌会にも参加してみた。「梨の実歌会」は、主催者の五十嵐きよみ
氏が短歌の裾野を広げることをただやみくもに追い求めることはせず、足立氏
の指摘するとおり「常にネット歌会の負の部分を意識し、参加者の視野の狭さ
を危惧」しながら、目的意識をもって参加者とともに歌会をおこなっていると
いうのが伝わってきてすばらしいネット歌会だと感じた。ただ、荻原裕幸氏が
関与しているということで、著名歌人の〈指導〉ということを期待していた私
にとっては、やや期待外れな面があったことは否めない。


 その気持ちは今も変わりはないが、しかし足立氏の文章を読んで「歌会の指
導的役割を担うに十分な人物であるにもかかわらず」、「歌会中の議論には参
加せず、選歌した歌だけについて意見(選歌理由)を述べるというスタイルを
貫く」荻原氏のもとで、五十嵐氏が毎回試行錯誤しながら歌会を開催している
ことが、インターネットという〈場〉においてはとても意義のあることのよう
にも思えてきた。「梨の実歌会」が、ネット歌会の草分け的な存在以上の存在
として、現在もなお注目されつつ歌会を続けている秘密はそのへんにあるのか
もしれないと。


 「私個人としては、結社のHPで、おっしゃるような歌会がその結社に属し
 ていない人でも参加できるかたちで普通に開かれるようになったら、「梨の
 実歌会」のような個人主催のネット歌会の果たす役目は終わったと判断して、
 「梨の実歌会」の開催をやめると思います。」「その分、たとえば題詠マラ
 ソンのような、ネットの特性を生かしたイベントの可能性を探る、といった
 ことに私としては力を入れていきたいです。」


 これは、五月初めに「梨の実歌会BBS」で、「近い将来、選者も参加する
ネット歌会を定期的に開催する結社が出てくる可能性は十分あると思うんです
が(もうあるのかもしれませんが)、そうなると既存のネット歌会は、結社と
の差別化を迫られるのではないでしょうか。」という斉藤斎藤氏の言葉を受け
ての五十嵐氏の発言である。この五十嵐氏の発言は、彼女のこれまでのインタ
ーネット上での活動から考えて非常に納得のいく発言だと私は思った。


 今後ネット歌会は、選者クラスの歌人が指導者となり、結社への勧誘を主目
的として参加者を広く結社以外にも求める形態の歌会と、誰かに自分の短歌を
読んでもらいたいという人がその満足感を満たすために集まり、アットホーム
な雰囲気でおこなわれる〈カラオケボックス〉的なものとに両極化していくの
かもしれない。またクローズドの〈場〉では、メンバーを特定の人に絞って開
催される超結社のネット歌会というものが盛んになっていくことも考えられる。
ただ私としては、結社型のネット歌会とは別形式の、たとえば「指導的立場と
成り得る上級者や中級者の歌人を歌会にゲストとして招くなど、ヒエラルキー
を生むことのない指導のしくみをネット歌会に導入していく方法を模索すると
いったような斬新な企画力」(「出涸らしでっせ!」二月号)をもったオープ
ンなネット歌会の出現を期待しもする。もちろんこれは、五十嵐氏への期待と
いうよりインターネットという〈場〉への期待である。


 インターネットという〈場〉はそういった新しい可能性をまだまだ秘めてい
るはずだ。それはネット歌会に限ったことではない。


 五十嵐氏が五月十七日付の「梨の実日記」で、「短歌総合誌みたいな発想の
メルマガ」を提案しているのを興味深く読んだ。機関紙のようなメンバー中心
のものではなく、そういったグループの枠を超え、「各種のネット情報とか、
イベント案内とか、歌集の紹介や批評とか」も掲載する依頼・投稿原稿からな
メールマガジン。「短歌総合誌みたいな」ということは、依頼もしくは投稿
による短歌作品の掲載も視野に入れたものであろう。


 そのようなメールマガジンが実際に発行されれば、注目を集めることは間違
いない。私も興味をそそられる。と同時に、商業誌と同形態の短歌総合誌スタ
イルのメールマガジンが本当に必要なのだろうかという疑問も沸き起った。今
年初め(一月四日)、私はインターネット上に公開している日記「毘紐天☆カ
ルキの生あくび」で、「そろそろ歌壇時評のひとつの枠として「ネット歌壇時
評」なるものに誌面を割く短歌誌が出てきてもいいと思っている。」と書いた
のだが、私が本当に望んでいるのは「短歌総合誌みたいな発想のメルマガ」で
はなく「ネット短歌評論誌みたいな発想のメルマガ」であり、インターネット
という〈場〉にとってもそちらのほうが必要なのではないだろうか。


 「ネット短歌評論誌みたいな発想のメルマガ」、つまりインターネット上で
今どんな動きがあるのかといったネット情報(これは現在でも「ちゃばしら@
WEB」がサイト上で広くカバーしている。)を羅列的に掲載するだけでなく、
そのなかで注目に値する事柄についてピックアップして評論したり、またネッ
ト歌会観戦記(参加記)やインターネット上で発表された短歌作品の鑑賞や批
評、インターネットという〈場〉への提言といった内容のメールマガジンであ
る。また、〈今月気になったインターネット上に発表された短歌作品〉といっ
た項目について広くアンケートをとり、その集計結果を毎回継続的に発表して
いくというのもおもしろいかもしれない。当然掲載する原稿は、依頼だけでな
く投稿を募ったほうがいいだろう。


 こうした「ネット短歌評論誌みたいな発想のメルマガ」が発行されれば、イ
ンターネットという〈場〉を把握するという点でも有用ではないだろうか。
〈場〉の問題だけではない。漠然と〈ネット短歌〉と呼ばれているものの姿が
浮かび上がってくるかもしれない(逆に、既成歌壇の枠組みを大きくはみ出し
た短歌はインターネット上には存在しないということが導き出せるかもしれな
い)。


 また、インターネットを積極的に活用している人への情報発信としてメール
マガジンを配信するだけでなく、短歌総合誌の編集部や結社へもプリント版を
送付すればどうだろう。今よりもさらにインターネットという〈場〉へ目を向
けてくれるにちがいない。インターネットという〈場〉の成熟度を認め、そし
てインターネット上に発表されている短歌作品のなかにもクオリティーの高い
ものがあると認識を改めてもらえるかもしれない。あわよくば、メールマガジ
ンを読んだ総合誌の編集部が、執筆者の誰かに〈ネット短歌〉についての連載
ページを持たせてくれるくれるようになるかもしれない。


 インターネットという <場> について思いつくままに述べてきた。「短歌と
[場]1」(『短歌ヴァーサス』創刊号)で、荻原氏は「大きな構えから言え
ば、少なくとも近代以降に生じている短歌のライフラインの危機は、つねに
〈場〉を核として回避されて来たし、現在もなおまったく同じ構造を抱えたま
まである。」と書いている。「ローカルなエリアでの共有性さえが見えにくい
状態」に陥っていると荻原氏が言う短歌の〈場〉をとりまく状況を今後いかに
して克服していくか、さらに決してインターネット内で充足してしまうことな
くインターネットの外部とも〈場〉の共有性を高めていくことができるかどう
かが、インターネットという〈場〉にとって(そして〈短歌〉という詩の世界
そのものにとっても)重要となってくるにちがいない。


■参考URL
「原人の海図」http://mx6.tiki.ne.jp/~canon/genwaku/index1.htm
「梨の実歌会」http://www.sweetswan.com/nashinomi/noma-iga.cgi
「梨の実日記」http://www3.diary.ne.jp/user/313869/
「毘紐天☆カルキの生あくび」http://www2.diary.ne.jp/user/144560/
「ちゃばしら@WEB」http://www.lebal.co.jp/cyabasira_bbs/web.html


                    (「ちゃばしら」2003年6月号掲載)