◆ 2003年を振り返って


 年末年始号ということで、僕自身のネット活動を中心に今年1年を振り返っ
てみようと思う。


     ☆ 


(1)題詠マラソン2003


 「題詠マラソン」とは、簡単に言えば2月から11月の10ヶ月間の内に、
参加者ひとりひとりが100の題詠をこなし合計100首を詠むという企画だ。
僕は、お祭り気分で早々と参加に名乗りをあげたので、幸運にも4つのお題の
決定権も得ることができた(010:浮く/035:駅/060:奪う/084:円)。最終的
には、参加者162名のうち121名がゴールした。参加者数、ゴール者数と
もに驚くべき数であるし、参加者の顔ぶれを見ても結社所属の人から無所属の
人、著名な歌人から歌歴の非常に浅い人までヴァラエティーに富んでいる。イ
ンターネット上では、多くの人がサイトを開設し個々人で自作短歌を発表して
いるし、様々なネット歌会も定期的に開催されてはいるが、これだけの人が1
つの〈場〉に集い歌を詠むということはこれまでなかったことだろう。それだ
けでもこの企画は非常に画期的で意義深いものだったといえる。


 これだけの企画を計画し、実行に移した主催者をはじめスタッフの皆さんに
感謝したい。参加する側は、10ヶ月という期間に自分のペースで(平均すれ
ば1ヶ月10首ペース)都合の良い時にマラソン会場に自作を書き込んでいけ
ばいいだけだが、スタッフ側は問題が発生すればその都度対応し、またルール
違反がないかを1首1首チェックしなければならず、その労力はこのような大
規模で長期間に渡るイベントにおいては相当に大変なものだったはずだ。


 正直、1万2千首を越える作品は玉石混交だ。僕自身も、100首を通して
明確なテーマや縛りを設けることなく、お祭り気分のまま勢いで走り抜け2ヶ
月余りでゴールしてしまったことを少し後悔している。しかし、このイベント
が、「ネット短歌」という曖昧な言葉でひと括りにされ「歌壇」からはほとん
ど省みられることのなかった作品、さらにはネットという <場> そのものを再
評価する契機となると僕は信じている。そう感じさせてくれる秀歌が数多くあ
ったし、「題詠マラソン」という〈場〉自体にもそれに値するパワーを感じた。
短歌史的にも記念碑的な企画だと言えば言い過ぎだろうか。


 マラソン終了後このイベントが、参加者のひとりでもある邑書林の島田牙城
さんによってアンソロジー集として単行本化されることが発表された。藤原龍
一郎さんが「短歌四季」12月号の短歌時評「題詠マラソンというイベント」
で「仲間内で何をやっているかわからないという閉鎖性はむしろ結社の短所で
ある。食わず嫌いは辞めて、新たなメディアの長所をまず確認してほしい。」
と述べている。単行本化によって、「題詠マラソン」という企画がより広く知
られることになるだろう。「歌壇」から黙殺されることなく、より多くの反響
が寄せられることを期待したい。


 ただ、参加者のひとりとして課題も感じた。「詠む」ということに関しては、
162名もの人が集まった <場> を提供したということでじゅうぶん役割を果
たした意義深いイベントではあったけれど、「読む」という点についてはなお
ざりになっていたのではないだろうか。出詠期間終了後の1ヶ月、マラソン
場となっていたBBSが感想・反省会のために開放されたが、参加した感想や
運営方法についての意見など「題詠マラソン」というイベントについての総括
的な感想・反省会に終始し、個々の歌についてはマラソン会場では批評会は行
なわれなかった。もちろん、1ヶ月で1万2千首以上の作品を「読む」ことは
実質的には不可能である。それに代わり、一部の参加者が、マラソン期間中か
ら各自のサイトで鑑賞を始め、僕も自分のサイトで「題詠マラソン2003」
観戦記
として、完走順にほぼ5首選ということで鑑賞している。他にも、「猫」
が詠み込まれた詠草から投票で大賞作を決定する「ネコード大賞」というユニ
ークな企画を飛永京さんが発表したりと、マラソン会場外では「読む」ことへ
の試みが僕が把握できているだけでもいろいろと行なわれている。ただ大半の
参加者は「詠む」ことで精一杯で、他人の作品を「読む」ことには無関心とい
うのが実情だったのではないだろうか。


 主催者は、来年も継続開催を望むかどうかをマラソン会場での感想・反省会
の話題の1つとしてあげていた。話題性から考えても、来年開催すればきっと
参加者は増えるだろう。しかし、今年同様のイベントを実施することに意義は
あるだろうか。ネット歌会、個人サイト、コラボレーション、そして「題詠マ
ラソン」……。ネット上に「詠む」環境はじゅうぶん整っているといえる。
題詠マラソン」というイベントに限らず、ネットという短歌の <場> そのも
のが、「詠む」だけの <場> を提供するだけでなく、「読む」環境、「読まれ
る」ための環境づくりを考える段階に来ているのではないだろうか。個人的に
は、「題詠マラソン」は、2年ないし3年に一度の開催としてはどうかと思う。
その間に専用の批評掲示板でじっくりと時間をかけて「読む」のだ。各参加者
が各お題別の自選10首評や全詠草から自選ベスト10評を書き込んだり、お
互いの「読み」について意見を交わす。1つの <場> で「読む」ことで得られ
るものは、1つの <場> で「詠む」こと同様に大きいと思うのだが。


(2)私家版歌集『観覧車日和』の刊行


 編集、印刷、製本のすべてを自分で行ない、2003年1月31日付けの発
行というかたちで刊行、限定版と普及版を含め合計48部を作成、頒布した。
現在、頒布は休止しているが、みなさんから寄せられた感想とともにサイト上
収録作品を公開している。


(3)色紙2003


 5月から、みの虫さんの書画とのコラボレーション「色紙2003」を始め
た。毎月、みの虫さんから提示される著名歌人の短歌作品に短い文章(エッセ
イ風の文章や、時には詩のようなもの)を寄せるという企画だ。提示された短
歌作品の鑑賞文を書くということではなく、そこから自分なりにイメージを広
げてということだったので、短歌作品と即かず離れずの絶妙な世界を提示する
ことができればと思いながら毎回頭を悩ましていた。1年間の企画なので3分
の2済んだところだ。せめて1つでも、短歌作品とみの虫さんの書画、そして
僕の文章とがうまく響き合って読者の心に届くコラボレーションがあればいい
のだが。


(4)【メル短】しましょ。


 6月、「【メル短】しましょ。」という企画を始めた。これについては、
「ちゃばしら」7月号の「出涸らしでっせ!」で紹介したが、その後参加者の
ひとり、ていだきねこさんとのやりとりをていださんのサイト内の「アステカ
たまごポケット」というページで公開してもらったり新たな展開も見られた
(現在、残念ながらていださんのサイトは閉じられてしまっている)。26回
のやりとりを最高に、現在6名の方が参加してくださっていて(「やめます宣
言」はなしということなので)、これからものんびり続けていければと思って
いる。


(5)ちゃばしら


 昨年に引き続き「ちゃばしら」やネット歌会には積極的に参加した。連作を
発表する機会が他にない僕にとって「ちゃばしら」の自由詠欄は、ネット歌会
に出詠した詠草を元にイメージを広げて連作を編んだりとさまざまな試行が可
能な〈場〉として特に有効に活用することができたと思う(今号の自由詠に出
詠した連作「ニシムクサムライ」も、ある密室歌会で詠んだ連作10首からイ
メージを広げて15首に再構成したものだ)。


 創刊3周年を迎えた「ちゃばしら」は、[オンライン短歌ショーケース]と
いった新企画も始まり、サイトと共に誌面もますます充実したものとなってい
る。ただ[オンライン短歌ショーケース]には、誌上に感想コメントを寄せる
ことができないし、残念なことにほとんど反響も聞えてこない。僕自身、以前
「ちゃばしらBBS」に、「ちゃばしら」10月号の[オンライン短歌ショー
ケース]に掲載された中島裕介さんの「寡婦、海辺へ子供を送迎す(或いは、
海辺の寡婦、か?)」について、誰かこの作品を読み解けた人がいればその魅
力を教えてほしいと、作品に添えられていたフランス語の文法的な意味不明さ
とともに書き込んだことがあったけれども全く反応がなかった。せっかく注目
歌人の連作が掲載されているのだから、ネット上に専用の批評掲示板を設置し
て俎上に載せて見てはどうだろう。批評掲示板は、誌上における感想コメント
を補完する場としても有効だと思うのだが。


 要するに「題詠マラソン2003」の項で述べたことと同じく、今後は「詠
む」と同時に「読む」ことにも力を入れた誌面作りを一参加者として期待した
いということだ。それにはまず参加者それぞれがただ歌を出詠して選歌結果に
一喜一憂するだけに終わるのでなく、積極的に選歌コメントにも参加し、また
他人の「読み」にも目を通すということがこれまで以上に必要であろう。さら
には、毎月歌人としてその「読み」にも信頼のおけるゲスト評者を招き、出詠
歌、連載記事について忌憚なく自由に語ってもらう月評欄を設けるというのも
いいかもしれない。


     ☆


 さて来年は、ネットという短歌の <場> はどうなるのだろう。今年「第2回
歌葉新人賞」の最終審査は、公開選考会というかたちでオフラインで行われた。
2004年は、こういったオンラインとオフラインを結ぶ企画(たとえば、朗
読会のネット同時配信など)が増えるかもしれない。またネット上では、文字
データだけでなく、動画や音声データによるコンテンツの提供がもっと手軽で
身近なものとして活用されていくかもしれない。とにかく、まだまだ可能性を
秘めた〈場〉であることには間違いない。


                   (「ちゃばしら」2003−2004年末年始号掲載)