ああこれが訛りて降れる月光か夜の日向のホームに仰ぐ  渡英子



天上に文書く人の筆の音聞こえるやうなはつなつの川  藤本喜久恵



樹々の闇くろぐろとして蛍よりまずこの闇に会いに来たのだ  岩下静香



人群の疎らにしあらばその孤独増しまさんものをゴッホ自画像  宮田長洋



今朝も告げず バックミラーに見るときのちいさきさびしき町並みのこと  阿部久美



四十歳(よんじゅう)になって知りたり悲しみは瞳よりさきに喉元(のど)にきざすと  早川志織



ちょっとした段差に躓く車椅子義母はその都度咳払いする  山本栄子



望遠のなければ足をうごかして十兵衛杉をカメラに納む  吉岡生夫



本棚に並ぶ歌集の題名をしばし眺めてのちし起きたり  橘圀臣



信楽の甕を浄土と思ふまではちすの花のあまた開けり  斎藤典子



はじまりのをはりに続く接続のをはりのはじまりの空梅雨  小池光



横たはり目を閉づ死までの区切りなき時間に区切りをつけなむとして  榊原敦子



稲の葉の先に高低ややありてパンタグラフの影淡く行く  梶倶認



筑波山遠くに見ゆる畑中にキャベツは風を巻き込み太る  鈴木律子



歌人とは国語を乱す元凶かフリガナつけて無理に読まする  小川潤治



ジャグラーは人垣のなか 跳躍のけもののごとき火のみ見えをり  多田零



尻取りをもうすることもなく海沿いを娘の車に妻と乗りをり  知久安次



つくづくと見おれば急須の注ぎ口のなんともやさしいふくらみ具合  村山千栄子



子と吾れが河川敷をあゆめるをふたつの魂に上下はあらず  水島和夫



ストリッパー憲法記念サービスデー音叉のごとき両脚をあげ
滅びゆくものは右へと旋回す戦艦大和面舵いっぱい
独裁者をつくるは市民 中心へゆくほど白く咲く花水木    八木博信



港には濃霧たちこめかすかなる呼吸音あり人のゐるらし  若林のぶ



頰欠けしアフロディテはかなしみをしらぬ少女の胸にいだかる  酒井英子



通学用自転車一年ごとに乗り潰す荒きちからに男とならむ  永井淑子



相聞の傘かたむけて帰りゆくうしろ姿に国境のなし  明石雅子



エレベーターホールの霊と呼び慣らし蛍光灯の点滅・不滅  藤原龍一郎



をとこ手に髪洗はれてゐるときのまぶたの裏の紫陽花のあを  高田流子



スムースに排水孔へ滑り入る停滞なきは痰にてもよし  多久麻



六本木ヒルズ裏手の銀色のフェンスに定家葛(ていかかづら)匂へる  蒔田さくら子