風の温度上がりてたたむショールにはヘロンの公式隠れていたり  滝田恵水



運不運ひとにあるとも水仙の花の向こうの空は果てなし  阿部美佳



筆をもつ指先さびし二月尽くり返し書く春の一字を  小林登美子



その笑顔は仮面に似ると思いつつ鏡のような友を離れる  東海林文子



銀色の鍵差しこみて踏み入りしわが家の闇のやはらかきかな  中島敦子



いぶしがっこの沢庵食めば在りし日の皺と渋さのいかりや長介  青木ルリ子



めぐすりが眼の裏に届くまでコイケヒカルと七たび唱ふ  近藤かすみ



雀の子木陰の仔猫わが歌も小さくありて春は愛しき  久保寛容



甲斐性のあることすなはち優しさの足りぬ娘が家建て替へぬ  山本じゅんこ



イチローの打率が二割後半となりし頃子のくらしも落ちつく  関浩子



包丁を持つ母が居る母になら刺されてむしろ本望である  生野檀



人の間だから人間 サラダ油で揚げてあるからサラダせんべい  斉藤斎藤



ポンペイ展ひらかれてをり百年後は亡き人ばかりの渋谷の街に  大越泉



黒き虚(うろ)を石膏みたす 恍惚のかほに二千年ひと死んでをり  花鳥佰



文科省の誰よりわたしが知っている「愛する」は独りでする作業  谷村はるか



ゆく春を惜しむがごとくに花びらは濡れた路面に張りついており  蜂須賀裕子            



 
                                                       (2006.12.30.記)