◆「天文台まで」守谷茂泰
木犀の香が柱へとしみてゆく生家に小石のごとく眠りぬ
天文台へ行くバスのなか誰も居ぬ座席が鰯雲となりゆく
拾いたる落葉に地図の浮かび出てこの秋も乗り遅れたままだ
銀杏の葉落ち尽くしたる青空は鳴り出す前の楽器のごとし
電飾の一斉にともる並木あり時が輪切りにされゆくごとし



◆「午後のたましひ」春畑茜
ひといきに傘をひらけば淡黄のわが界を打つ雨師(うし)がこころは
安倍川にけふゆく水の乏しさやさはあれ季夏の眼にかがやける
刻みゆく竹輪の甘き香のなかに日暮れの虚(うろ)のあまた散らばる
吉野家に牛丼戻る日をまへに豚丼はわが箸に崩るる
みづの上(へ)の午後の燕よひるがへりなほひるがへるたましひが見ゆ



◆「自縄自縛」菊池孝彦
秋かぜにかわかされつつ心身の何グラムかは軽くなりたり
午後の陽はあからさまにて戯るる子らの光陰路地に走らす
死について思ひめぐらす生としていまだ過去形ならぬわれあり
曇天にねむき頭蓋は圧されつつ方位を失す朝のしばしを
生きて死ぬ、それだけと言ふ真実に突き当たるまで四十年経つ



◆「続・雨のバラード」倉益敬
校庭に雨の嫡子を思はせる水溜りあり空を揺らして
デジタルの時間と共に雨の日の闇を溜めゐるコインロッカー
雨宿りなす軒先も見当たらず昭和は遠くなりにけるかも
脚下から震へは来たり霧雨のなかに揺れゐる東京タワー
夕暮の雨がトタンを鳴らしをりカタカナ変換してゐるやうに



◆「多く電車の歌」吉岡生夫
ひとりごとやまざる客とあいてゐる席をふたつにして遠ざかる
爪を切る要なき犬のねそべれり爪をとばして爪を切るそば
釣銭を忘れて帰る釣銭を使ひてコピーする人のため
足引きの山田の駅の構内にエレベーターのあるありがたさ
あしといひよしといふとも歩けねば難行苦行の階段ぞかし



                                                    (2006.12.19.記)