◆ 鉋とノミ  伊波虎英


 紫陽花の影絵となった白昼にわたしの首が座礁している
 十月の雨降る森は眼帯の少女となりてけむっておりぬ
                               守谷茂泰


 枯れつくすときを迎えむわが詩藻 水子供養の飛行機草も
 人殺すわれかもしれず敗戦日黙祷のあと顔あげてゆく
                               八木博信


 三年前に遅まきながら短歌結社への入会を決意し、数ある結社の
なかから短歌人を選んだのには、選者(編集委員)や選歌の方法、
所属する歌人など、いくつかの要素があったのだけれど、短歌誌で
作品を目にしてその作品世界に非常に惹かれていた守谷茂泰さんと
八木博信さんがどちらも短歌人に所属していたのも大きな理由のひ
とつであった。短歌人入会以来、ずっとふたりには注目している。 


 天文台へ行くバスのなか誰も居ぬ座席が鰯雲となりゆく
 電飾の一斉にともる並木あり時が輪切りにされゆくごとし
                               守谷茂泰


 メイドカフェに帰らなんいざ愛されぬ俺たちを待つ秋の葉の原  
 半島よりミサイルはくる絵本には手紙をよみて赤鬼が泣く
                               八木博信 


 ふたりとも「私性の文学」という伝統的な短歌観からは距離を置
いているが、作風は全く異なる。 


 守谷さんは、鉋で材木の表面を削って滑らかにするように、世界
の薄皮を丁寧に剥ぎ取り、われわれが普段目にしていない世界の美
しい面を短歌作品として読み手に差し出す。卓越した比喩の魅力は
もちろん、とにかく歌が端整。守谷さんの端整な歌風を、小手先の
テクニックによらず自分の物にするにはどうすればいいのだろう。 


 一方、虚構と創作を自らの資質と認識している八木さんは、ノミ
で深くえぐり出すように世界のドロドロした面を哀しいほど冷徹に
描き出す。社会的事件や風俗など、八木さんと同じ素材を僕も歌に
詠むことが多いので、そうした素材を扱う時は、八木さんを唸らせ
ることができる歌かどうかを常に意識しながら歌作している。


 守谷さんと八木さんは、僕の遥か前方にいる憧れの歌人であると
同時に、ライバルでもあるのだ。