紺村濃の空のくぼみに満月は凍れる鋲として刺さりをり  洞口千恵



日に向きて瞼閉づればあたたかく光はありぬわれにうちにも  御厨節子



卓上に薬袋の置かれゐてはじめてみたるごとき母の名  松野欣幸



使はれし布団を干すとき泣くと言ふ義母(はは)を泣かせに今年も帰省す  藤田初枝



墓石のやうにそこだけ冷えてゐる珈琲(カフィ)をまへに潰えし禁煙  黒田英雄



砂糖入り缶コーヒーが人肌に冷めれば甘さもて余したり  関浩子



精神科医に「良いお年を」と言われおり何と返してよいか戸惑う  矢野檀



財あれば財に苦しむ夫婦をり我ら静かに豆腐を崩す  上杉諒子



刺青師彫寛なる人わが町に住めるを知りぬタウンページに  助川とし子



破裂音よろこびて寄る文鳥に擬似文鳥語われはきかする  森脇せい子



ひとり笑ひの青年の漕ぐ自転車が小刻みに揺れ坂を上り来  八木明子



隣りあはす席に絶え間のなき会話そのひそひそがわが耳擦(こ)する  竹浦道子



書く事の出来ぬボールペン溢れたりインクも減らず只書けぬなり  秋田太一郎



焚火して居並ぶ人に笑顔あり年の始めの誓いを秘めて  山野とも子



無農薬林檎の味をかみしめて無垢でいられぬこの世を生きる  間ルリ



冬の田を透かして虹の脚のいろ深く立ちたり左右の車窓に  梅田由紀子



おせっかいなやさしさを持つ川にしてあちらこちらをつなごうとする  森谷彰



きれいごとばかりの未来を提示する昭和をやたらと美化する人たち  魚住めぐむ



われら夫婦あまりに霊障激しきに大阿闍梨の読経掠るるほどぞ  松川晶



物差しで計れぬものよ幸せは 竹の定規は飴色に照る  水田まり



倒木のポプラより生れしチェンバロが湖のさざ波奏で始める  柊明日香



ふるさとの笹飴は歯に粘れども粘れども食む翁飴(おきなあめ)なり 鎌田ヒロ



ひとり乗るエレベーターを呼び寄せて開扉するのを恐れつつ待つ 菅原和江



口内がすべて金柑金柑となる金柑を食べた後には 森直幹



白き日の庭におり来て初空という季題の下にしばらく立てり 久保寛容



すばらしきにしん曇りにうちはぶくゴメの胸毛が白白と跳ぶ 三浦利晴