◆ 鞄とカバン  伊波虎英


 「短歌人」に目を通していると、読み手としてはもちろん、同じ
実作者の立場からも、漢字とかなの表記のバランスや定型のリズム、
さらに破調の歌であればなおさら破調のリズムというものにもう少
し気を配るべきだと感じる作品にしばしば出くわす。推敲を重ね、
納得して投稿したはずの自作でさえも、誌面に掲載された歌を見て
同じように感じることが度々だ。


 短歌における修辞には様々な技法があり、どれも一朝一夕に習得
できるわけではないし、各人の資質が多分に関わる所でもあるのだ
けれど、実作者であれば最低限、表記や音読した時のリズムに心を
砕き、とことん推敲しようとする姿勢・こだわりは必要であろう。


 たとえば、<かばん>ひとつを取っても、鞄、カバン、かばん、
……と表記だけでも選択肢はいくつもあり、作者はその中から最適
な表記を選択しなければならない。


 地上五センチを行くわれならんローン手続き書類いろいろ鞄にありて 
 もの言はぬくちびる寒し親指と携帯電話をカバンにしまふ    
                               小島ゆかり『憂春』      


 なるほど、ローンを組むのに必要な重要書類が入っている<かば
ん>には「鞄」、携帯電話(と親指)をしまい込む<かばん>には
「カバン」の表記がふさわしく、それぞれの表記は他に置き換える
ことができないように思う。小島氏は、「鞄」「カバン」というそ
れぞれの表記の選択にじゅうぶん意識的であったはずだ。仮に二首
に詠まれている<かばん>が、作者がいつも持ち歩いている同一の
モノだとすると、中に納めるモノの違いで<かばん>を「鞄」にも
「カバン」にも変えてしまうのが歌人であり、短歌だといえるかも
しれない。われわれは実作者としての立場を離れ、一読者となるこ
とで、こうした基本的な修辞の重要性を学び取り、自らの創作活動
に結びつけることができるわけだ。

 
 短歌においては、ブランド物の洋服や装飾品でむやみに着飾るよ
うな派手な修辞を身につけるよりも前に、まずは質素でも自分にふ
さわしい装いをするように、自身が短歌という定型形式で表現した
いモノを的確に表現し読み手に伝えるために必要な基本的な修辞と
いうものを念頭に置いて作歌してゆくことが何よりも大切である。