「妊娠中」と身振りで告ぐる馭車がまたムチをくれをり身重の馬に  藤田初枝



桜さく広場のすみに自転車は「ああもういいわ」と倒れておりぬ  野中祥子



境涯をたらたら詠むのはもう飽きた意地悪ばあさんの見廻りに行かう  西尾睦恵



中古のバイク軋ませてくる能面の老人より受くる夕刊薄し  平松典子



うらおもてと題して虫の背と腹を描きし翁の絵手紙楽し  前田靖子



19と20のあいだを彷徨いし五月の温度計の憂鬱  津和歌子



東京に聖火灯りしあの日からどの年もただ四桁の数字  黒田英雄



衆議院選挙に「落選」という重治の年譜を読みて悲しみかすか  久保寛容



参議院選挙に「当選」という重治の年譜の記事に哀れあるかな  久保寛容



つり革に手を伸ばせどももう少し届かぬままのプラズマテレビ  森直幹



アメリカのリンゴ史に残るジョナサンの放浪の旅の果ての紅玉  矢野佳津



昔なら見棄てられたとまぼろしの石ころ蹴って帰っただろう  生野檀



死にたいと思いつつ寝る夜の夢に人を殺してわが生き残る  生野檀



蓮根は貧しき者の食物とインドの人が酢蓮さげすむ  森脇せい子



そのこころ嘆かうこともなき犬をぐいぐいと圧(お)す春のひかりは  井上春代