感情はふたひらみひら降り沈む或る日はもみぢ或る日は雪と  春畑茜



現在地 おまへはここにゐるといふ案内板ありわが目の前に  松村洋子



耳はまだきこえてゐると葬儀屋に促されつつ死者に礼いふ  寺島弘



      ゴッホメニエル病であった、という説もある。
おもはるる絵の星月夜 やはらかにアスファルト波打つを踏みゆく  多田零



しりとりのうさぎのあとのぎんぎつねうしろをすこしふりむいて去る  阿部久美



子をもてばこういう歌を詠みたいと思う端から忘れてしまう  青柳守音



短歌つくるときにもつともおもしろく脳の内部に時間動きたり  西村美佐子



難解なうた詠む人のうた数首不意に心に問ひかけてくる  古川アヤ子



妻が夫に賞を与えて飯事のような歌界の片隅に生く  西勝洋一



短歌しか知らぬ者には短歌すら理解できぬと思ひ知りたり  永田吉



芸人にそこはかとなきせつなさの消えゆくことを罪のごと思ふ  斎藤典子



再会はわづか十秒、せはしなき兄の後ろ手見送りにけり  宇田川寛之



防虫に幹の下方を白く塗る満洲の人の性か虫の性か  長谷川富市



「せやさかい」うしろで声す さういへば浪速男と昔恋せし  蒔田さくら子



きつちりと着物の襟をあはせたる二十歳の母の眼に力あり  杉山春代



龍を呑む名こそよろしも貧民の子を育てたる呑龍和尚  小川潤治



玄関の靴の中には留守の間に散りたるバラの花びらがあり  宮粼郁子



位牌とは永遠の居留守おほぞらをあはくよこぎる飛行船みゆ  木戸敬



雪囲ひの男結びの結び目の堅さのままに椿の蕾  椎木英輔



「肩で息するのはもうすぐ死ぬからよ」明るき窓へ看護婦は寄る  八木博信



猫のためまたたびの木の切片をみやげにしたり小池光は  室井忠雄



コーナーを曲りきるとき傾きて少年走者肩より歪む  水谷澄子



なんとやさしい眼をして石窟を出でてくる壁画修復の工人がゐる  長谷川莞爾



煙草(あり)・酒(あり)のコンビニだけを地図に塗る日々ありありの生活だから  足立尚計



かたちなきものにあこがれ青年は泳ぎつつ水に溶けてゆきたり  原田千万



欠けたるはなほうつくしくゆふぐれに架かれる虹のまぼろしの脚  原田千万



われはうたへどやぶれかぶれぞ芥川澄江堂が冬日に染まる  藤原龍一郎



搗き上がりたる餅去りし木の臼の湯気のゆらぎを愉しみてをり  大森益雄



包装をつぎつぎ剥いてゆくことが滅法楽し虎屋羊羹  小池光



馬の糞(ふん)ふめば背丈の高くなることを信じて馬の糞ふみき  中地俊夫