◆ 爆笑短歌  伊波虎英


 笑いを誘う歌には、ウイットや毒があって思わずニヤリとさせら
れる歌や、独自の発見や気付きに満ちた歌、自己を真摯に見つめ自
虐的に表出した歌、「面白うてやがて悲しき……」の境地に達した
歌などさまざまあり、定型表現を生かした秀歌もたくさんあるが、
一読爆笑させられる歌というのは意外と少ないように思う。笑わせ
ようというのがあからさまな歌は、品がなくなって俗っぽさが前面に
出てしまいがちで、作り手も読み手も敬遠してしまうものだ。


 短歌を作り続けていれば、表現技術の向上はもちろんのこと、短
歌的観察眼というものも身に付いてくる。それらが武器となって、
笑いのセンスが定型表現のなかでおのずから磨かれてゆくという手
応えのようなものは、実作者として実感するところだ。とは言って
も、人を爆笑させるほどの歌を作るとなると、それはとてつもなく
むずかしいことだと最近つくづく感じている。だからこそ、テクニ
カルで知的な笑いの歌に惹かれるのと同様、一読爆笑させられる歌
にも強く惹かれる。

 
 てぶくろのはんたいを言へとくりかへす子を抱へあげさかさにつるす  
                          真中朋久『エウラキロン』


 まるで動画サイトのおもしろ映像を見ているように情景が浮かん
で笑える歌。父性という大きな壁となって、これから子供の前に立
ちはだかってゆくであろう父の姿が生き生きと描かれている、など
という短歌的分析が不要なほど理屈抜きに爆笑させられる。子供は
笑いの宝庫だが、誰もが子供を素材にするだけで、このように爆笑
短歌を詠めるわけではない。


 おいそこの学部長、寝てんぢやねえよとわが言はざれば静かなり会議  
                            島田修三『蓬歳断想録』


 これも一読爆笑の歌。そんなこと言って大丈夫なの?と思わせて
おいて「わが言はざれば」と来る。いわゆる「緊張と緩和」による笑
いだが、常識人としての自分の行為を自虐的に見つめる作者の視線
と相まって笑いが増幅される。結句の着地も見事。


 僕もいつか、一度でいいから、自分の歌で誰かを爆笑させてみた
いと思っている。