◆ シフォンケーキと万年筆  伊波虎英 


 ある小説を読んでいる時のこと。蚕の繭を茹でる生臭い匂いの描写
が出て来て、別にその文章自体はどうってことはないし、僕自身も
一度も繭を茹でる匂いを嗅いだことはないのに、なぜかその生臭い
匂いを非常にリアルに感じた。そして、それからまもなく「富岡製
糸場と絹産業遺産群」が世界文化遺産に登録される見通しだという
ニュースが流れた。


 もう一つ。テレビを見ていて、シフォンケーキは、仕事を失い家
族を捨ててハリウッドにやって来たハリー・ベーカーという元保険
外交員が、四年もの試行錯誤の末にレシピを開発したと知ったしば
らく後に、現在の万年筆を発明したあのウォーターマンも保険外交
員だったと別の番組で知った。


 これらをシンクロニシティだなんて言うつもりはないし、実際の
ところ特別な意味などない全くの偶然であろう。また、こんなこと
は、誰もが少なからず経験しているにちがいない。


 しかし、こういう偶然の一致を面白がったり、さらに興味をもっ
て深く調べてみようとする心持ちは、短歌創作においては大切だ。


 実際、僕はシフォンケーキと万年筆の誕生に保険外交員が関わっ
ていたという事実に興味を惹かれて、何か歌にならないだろうかと
しばらく頭をひねっていた。残念ながら今回は身を結ばず、短歌よ
りも、三谷幸喜あたりがハリー・ベーカーの生涯に脚色をくわえて
喜劇にすれば面白い舞台になるんじゃないか……、などと変な方向
へ思いを巡らせてしまった。 


 歌になるかどうかは別にして、日々さまざまなことに関心を持っ
てアンテナを張り巡らせていれば、当然、こうした偶然に出会える機
会は増えてゆくはずだ。


 とは言うものの、最近そのアンテナの感度が鈍ってきているよう
に感じて落ち込んでしまう。単純に歳のせいなのか、それとも短歌
を始めて十年以上となり惰性で歌を詠んでしまっているからなのか、
はたまた資質の問題か……。


 毎月締切に追われて作る十首ほどの歌に四苦八苦し、その出来に
絶望的な気分になりながら、でもここで諦めたらもう歌は生まれな
いと自らを鼓舞し、何とか感度の鈍ったアンテナを畳まずにいる。