◆「夜の窓、朝の窓」内山昌太
のびやかな影を曳きつつ老い人は午後の陽射しに出逢いつづけぬ
テーブルの脚のくらがりひそかなる沼ありてひたす日々の足裏を
陽光はまずしき窓に打ちあたり展かるる目のなかの教会
夜(よる)の窓にすきとおる胸を沿線のしろき枯生がながれていたり



◆「ラブソングは歌えない」倉益敬
通りまで空の台車を押してゆく近づける春の気分を乗せて
月曜の朝の都会に紛れたりキャッシュコーナーの背中となりて



◆「騙されたふりしてやりぬ」藤本喜久恵
騙されたふりしてやりぬ夕影に蝋梅のひときは照るに免じて
湖面より産毛のごとき朝靄の立ちゐて鴨の眠り長くす



◆「春・百年の孤独」高野裕子
もんどおり打ちつつ転がる枯れ枝のもんどおり打つさま愉快なり
いつのまに欠けたる茶碗か欠け跡のあたらしければせつなかりけり



◆「雪の歌」原田千万
寒つばき啄ばむ鳥の身の内はうすくれなゐに占められてゐむ
ふうはりと雪落ちてきてひきかへにわがたましひはふうはり浮かぶ



◆「Spring has come」有沢螢
Spring has come を「バネ持つて来い」と訳したる少年眉間に皺ひとつなし
去りしひとの輪郭しだいに細りゆきジャコメッティーの彫刻のごと



◆「逆茂木の棘」大森益雄
逆茂木(さかもぎ)の棘をめぐりに積み重ねわれの言葉を拒む女生徒
けぶりゐる鏡のなかのくちびるに紅(べに)をさし終へ妻が外出(そとで)す



◆「クロッカス」木曽陽子
クロッカスのまなぶたほそくひらきたり さびしきひかり二月のひかり
春の夜のいろはにおえど街上に見知らぬ人と信号(シグナル)を待つ



◆「柊二と八一の新潟」永田吉
気骨ある武士の館を思はせて木造白壁宮柊二
会津八一記念館にてかの人の机と椅子を書き写し獲る



◆「山里」谷口龍人
変貌を遂げし山河と見ていしが春告鳥は庭に来て鳴く
新宿のホテル三十六階の部屋にし在れば静かなる都市



◆「断簡」泉慶章
腐つたバイオリンをフォークに刺す心地、人は感覚器から崩壊する
クリームのシューがはみ出る人買ひの小さな部屋にブザー鳴つてる



◆「縦糸、横糸」高田薫
年月を経て心地よく呼吸する木綿の緩みの確かな理想
機を織るずっとそうしてきたように外には美しい雨が降る日に



◆「春の陰翳」宇田川寛之
吾子と手を離さぬやうに女坂のぼりて梅のつぼみに触れつ
きみ病めど「仕事が大事」と言ひし日のありとあらゆる言ひ訳おもふ